札幌高等裁判所 昭和56年(う)22号 判決 1981年4月24日
被告人 小倉啓二
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人野口一及び同笠井真一が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
一 控訴趣意中、事実誤認の主張について
所論は、原判決は漁業法一四五条の両罰規定に基づき被告人を処断したが、右規定は、事業主が従業者の選任、監督その他違反行為を防止するにつき必要な注意を尽さなかつた過失の存在を推定したものと判例上解されているところ、この推定は事実上の推定にとどまり、過失の不存在につき被告人に挙証責任を負わせたものではなく、他方、漁船は一旦航海に出ると具体的な操業の実施は専ら漁撈長の裁量に任され、船主の現実の監督から離脱するのであるから、船主としては漁撈長に注意する以外効果的な監督方法はないが、本件の場合、被告人は第三五勢隆丸の漁撈長大越秀男に対し違反操業のないよう同船の出漁前に注意した事実があるから、被告人に従業者に対する監督責任の過失を推定することはできないにもかかわらず、被告人に右の過失を肯定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。
そこで、原判決挙示引用の証拠を精査検討すると、被告人は、漁船第三五勢隆丸(以下本件漁船という。)を所有して漁業を営み、昭和五五年四月二五日農林水産大臣から右船舶につき中型さけ・ます流し網漁業の許可を受けたものであるが、被告人が雇用していた右漁業の従業者である同船の船長白川洋紀、同船の漁撈長大越秀男及び同船の通信長小倉隆の三名は、共謀のうえ、被告人の漁業に関し、原判示一、二のとおり、同年五月六日から同月一三日までと同月一四日から同月一六日までの各期間内に、右漁業許可によつて操業を禁止された水域及び許可されていない水域において操業し、合計約一万二四二三尾のさけを採捕し、もつて漁業法一三八条二号及び四号違反の各漁業を営んだものであることが認められるところ(もつとも、原判決は、原判示一の違反操業で採捕したさけは約七七三五尾である旨認定しているが、右関係各証拠によれば、それは約七七〇八尾であることが認められ、この点で原判決は事実を誤認しているが、その誤認は、いまだ判決に影響を及ぼすものではない。)、右関係各証拠によれば、被告人は、昭和四九年ころから本件漁船を毎年太平洋に出漁させて指定漁業である中型さけ・ます流し網漁業を営んでいるものであるが、近年いわゆる減船問題が発生し、被告人が所属する歯舞漁業協同組合の鮭鱒部会でも約三分の一の漁船は農林水産大臣の漁業許可が得られないで休漁を余儀なくされているので、その救済を目的として、同部会の協議に基づき、昭和五四年から各出漁船の船主がその総水掲げ高の一〇ないし一二パーセントに相当する金員を拠出し合い、休漁船の船主に一定額の補償をするようになり、このことと動力用燃料代の高騰及び、乗組員の人件費、魚網代、船舶保険料などの諸経費を考慮すると、出漁する場合、総水揚げ高が一億五〇〇〇万円を越えないと採算がとれない状況にあり、出漁船乗組員はこのような事情を熟知しており、加えて、同乗組員の収入は基本給と歩合給からなり、総水揚げ高の一定割合が増産奨励金の名目で乗組員に配分される仕組みになつていることから、乗組員の関心は専ら短時間の操業で魚価の高い紅さけや白さけを多数採捕することにあつたが、北緯四四度以南の操業許可水域では、採捕されるさけ・ますの魚体が小さく、しかも紅さけ、白さけの採捕割合も低いので、勢い魚価の高いさけを求めて操業が許されていない水域まで北上して操業する例が稀ではないこと、被告人は、かつて永年にわたりさけ、ます流し網漁業の漁船に漁撈長兼船長として乗組み稼働した経験があり、右のような操業の実情は十分認識していたにもかかわらず、本件漁船が昭和五五年五月一日歯舞港から出漁するに際し、同船の船長、魚撈長など乗組員幹部らに対し本件のような違反操業をしないように指示又は注意を与えなかつたばかりか、むしろ具体的な操業位置の選定、漁業活動の実施についてはその一切を漁撈長大越秀男に任せていたこと、若し右の指示ないし注意を与えていれば、乗組員が原判示の違反操業に敢えて出ることはなかつたことが認められ、被告人の原審公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書のうち、右認定に添わない部分は容易に措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。以上の事実に照らせば、被告人は、事業主として、その従業者である白川洋紀、大越秀男及び小倉隆の原判示の各違反行為につき、容易にこれを予見しえたものであり、これを防止するに必要な注意を同人らに与えればたやすくその違反行為を防止することができ、その注意をするについて何らの障害もなかつたのに、これを尽さなかつたことが明認されるのであつて、被告人に従業者の選任監督上の過失があつたことを首肯するに十分であるから、過失の存在につき検察官が挙証責任を負うか否かに言及するまでもなく、原判決が認定した事実は正当であつて、所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。
二 控訴趣意中、法令適用の誤の主張について
所論は、原判決は没収について法令適用の誤をおかしている、というのであるが、原判決によれば、被告人に対する没収は、本件漁船の船長白川洋紀らが共謀のうえ犯した漁業法一三八条二号及び四号の各犯罪行為により、事業主たる被告人が新たに所有するに至つた漁獲物であるさけ一万二〇〇〇尾について、これを押収した後刑事訴訟法一二二条に基づき換価したその換価代金二八六二万一七四八円全額を漁業法一四〇条に則り没収したものであることが明らかであり、原判決がこの点につき「弁護人の主張に対する判断」の項で説示するところはおおむねこれを首肯しうるところであつて、更に付言すれば、同法一四五条が法人の代表者又は法人若しくは人(以下「事業主」という。)の代理人、使用人その他の従業者が、事業主の業務又は財産に関して、同条に挙示する同法一三八条等の違反行為をしたときは、行為者を罰する外、事業主に対し各本条(同法一三八条等)の罰金刑を科する旨規定しているのは、事業主に対しては各本条所定の懲役刑を科さないという意味にとどまるのであつて、事業主を罰金で処罰する根拠となる基本の法条が各本条であることは否定できないし、刑法二〇条は、特別の規定がない限り没収を科しえない罪として「拘留又は科料のみに該る罪」を掲げているにすぎないから、事業主に対し、主刑である罰金刑を科した場合にその付加刑である没収の言渡をできないとする理由はなく、ことに、事業主は、その従業者に対する選任監督上の過失という事業主自身の過失責任によつて処罰を受けるのであつて、他人の犯罪行為責任の転嫁によるものではなく、この理は没収についても同様であり、従つて、漁業法一四〇条にいう「犯人」には同法一四五条のいわゆる両罰規定の適用を受ける事業主を含むと解するのが相当であるところ、本件においては、原判示の違反操業により採捕されたさけはすべて事業主である被告人の所有に帰したことは明らかであり、同法一四〇条の定める要件に欠くるところはないから、原判決が、同条に基づき、押収してある漁獲物の換価代金につき没収の言渡をしたのは正当である。また、右の漁獲物は、事業主たる被告人がその従業者の原判示犯罪行為によつて新たに取得し所有するに至つたものであつて、被告人が得た漁業許可とは全く関係がなく、本件漁船の出漁それ自体は違法でないからといつて、その出漁に伴う人件費や動力燃料代等の漁業経費が漁獲物の一部に化体したとはみられず、それらの費用はむしろ原判示違反操業にともなう必要経費であり、右違反操業によつてえた原判示漁獲物全部は不正の利得で違法性をおびていることは多言を要しないから、一部にせよこれを被告人に保持させるのは正義感情に反し相当でなく、原判決がその説示するところに従い右漁獲物の換価代金全部を没収したことについて何らかしは認められないから、右没収が被告人の適法な財産的利益をも剥奪した違法なものである旨の所論は到底採用することができない。更に、被告人が、出漁漁船員に対する給料、各種手当のほか、増産奨励金、漁業協力費、休漁船船主に対する「とも補償費」の支払を余儀なくされ、燃料代の高騰と魚価の低落等のため経済的打撃を蒙つていることなど、所論指摘の事実があるとしても、漁業法所定の没収の趣旨に照らせば、本件没収が被告人の刑事責任との均衡を無視し著しく正義に反する結果をもたらしているということはできない。従つて、原判決が被告人に対し原判示の没収を言い渡したことについて法令適用の誤はなく、論旨は理由がない。
三 控訴趣意中、量刑不当の主張について
所論は、原判決の量刑、ことに没収は重きに失し、不当である、というのであるが、記録及び証拠を精査して諸般の情状を検討すると、原判決が「量刑の理由」として説示するところは当裁判所もこれを首肯することができるのであつて、ことに、本件は、被告人所有の本件漁船の船長ら幹部乗組員が中型さけ・ます流し網漁業のため北部太平洋に出漁した際、共謀のうえ、被告人の業務に関し、操業禁止水域及び無許可水域において操業し、合計一万尾余のさけを採捕したことについて、被告人が右犯罪実行者らに対する選任監督上必要な注意を尽さなかつた責任を問われているものであるが、右違反操業の態様、操業実施回数、漁獲物の量、資源保護の施策に及ぼす影響、並びに、被告人が全鮭連理事の地位にあつて各種の漁業規制に対し一般漁業者以上にその遵守への努力が期待されていたことなどの諸事情を考慮すると、被告人に前科、前歴がないこと、本件が発覚して被告人が社会的信望を失墜し、将来の停船行政処分も予想されないわけではなく、加えて経済的にも少なからぬ損失を蒙つたこと、反省改悟の情を示していることなど、被告人のため有利な情状を斟酌しても、被告人を罰金二〇万円に処し、合わせて原判示の没収を言い渡した原判決の量刑はやむを得ないものとして是認できるのであつて、これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決をする。
(裁判官 金子仙太郎 田中宏 仲宗根一郎)